現代医療では「体=肉体」として扱われています。肉体は物質であり、私たち看護師が学ぶのは”機能”としての体です。一方で「身体」も「からだ」と読みます。「身体」は肉体であるだけでなく、精神が宿る”魂”としての意味を持ちます。
とくに私たちは病棟で勤務していると、治療だけでは説明がつかないことを感じています。たとえば切断して失ったはずの下肢に痛みを感じるという状況に出会ったことがありますか?身近な経験では、退院が近づくと症状が悪化する患者、退院するたびに憎悪して入退院を繰り返す患者など。また、自分自身も体調が優れないときは心の平穏が崩れていたり、悩み事がなくなれば何となく体の調子がよくなったり。心の状態が肉体に影響しているのを感じずにはいられないのではないでしょうか。
”魂としての身体”とはー?
1. 「精神」としての身体とは
フランスの哲学者であるメルロ=ポンティ(1908年~1961年)は、「両義性」と「知覚の現象学」で有名です。「知覚の現象学」は、人は現象を知覚で捉えており、身体の状態によって知覚情報は変化するというものです。たとえば寒いときに熱いお茶を飲むとほっこりしますが、暑い夏に熱いお茶を飲むと不快に感じる人が多いというもの。知覚によって人が捉える現象は変わるのだから、身体知を先に定義しない限り、どんな哲学も整合性が取れないことを主張しました。
また「両義性」は、私たち看護師が目にする状態では”幻肢”が挙げられます。西洋医学はルネ・デカルトの心身二元論(体と心は別)によって現代まで推進されて来ましたが、メルロ=ポンティは逆説を唱えました。無いはずの四肢に痛みを感じるのは、身体の感覚は外的要因で発生しているわけではなく、精神が引き起こしている。つまり身体とは外部であり内部でもあると考えました。それが「両義性」です。
私自身が15年間教えてきたNLPは、Neuro Language Programming=神経言語プログラミングの略で、人は神経を介して言葉でプログラムされていることを意味します。1970年頃からAI発展のために研究された認知科学です。私たちはどのように出来事を認識しているかというと、”五感”(視覚・聴覚・感情を含む体感覚・嗅覚・味覚)です。五感情報が体内で何らかの身体言語に変換され、神経を介して情報伝達が行われ、体感→認識になっていくことが科学的に証明されつつあります。
現在、人類のほとんどが毎日PCやスマホのデータを保存し続けており、近い将来、情報爆発が起こることが予想されています。地球に溢れんばかりのデータを一体どこに保管するか?という問題に対し、人類のDNAがデータ保存場所として研究されているのをご存知でしょうか?マイクロソフト社は、DNAストレージ技術の圧倒的な密度、持続可能性、保存可能に成功しています。DNAは極めてコンパクトで記録密度が高く、耐久性も高く、低温かつ乾燥した条件で情報を数十万年間保存できるそうです。身体は感情・記憶・文化・人間関係が刻まれた情報の貯蔵庫なのです。
2. 「魂」としての身体とは
日本の神道においては『言霊学』を主軸をしています。祝詞(のりと)や祓詞(はらいことば)です。他に、日本では和歌や俳句においても言葉の使い方を基調としており、呪歌があったことも知られています。単に”ありがとう”という言葉を使った方が良いというものではなく、神社では先に「祓詞」を唱え、穢れ(けがれ)を祓った後に「祝詞」を奏上することになっています。独特な言葉によって、自分自身の不必要な思考や感情や欲を取り払ってくれているんですね。
DNAストレージについて前述しましたが、古神道において「身体は言葉の容れ物」とされています。そして身体は魂そのものであり、魂はその人が常日頃使っている言葉によって磨かれもし、穢れ(けがれ)もします。感情にとらわれているとき重だるさを感じますが、さまざまな念を持つ魂は重く昇華されにくいため、亡くなった後も地上付近の低いところを彷徨うそうです。
私たち日本人は”輪廻転生”という言葉を聞き慣れていますが、やはり日本では古くから、人間も自然の一部として巡ると認識されています。魂は亡くなった場所に戻って来るという謂れがあったため、みな最後は生まれ育った故郷に帰って人生を終えたいと思っていたそうです。魂は時間や時間を越えるため、今生での悪行が孫世代にカルマになって飛ぶと言われています。逆に今生でカルマを解消すれば、先祖にさかのぼって魂が昇華されるとも言われています。行い(行為・行動)=身体と思えば、身体の神秘を感じますね。
3.「直感」とは何か
あなたは「虫の知らせ」や「胸騒ぎ」を感じた経験がありますか?それは、何かわからない、うまく言葉にできない、”なんとなく”としか言えないような感覚だと思います。ただ、確かにありますよね? たとえば勤務中に(ああ、これやっておかないと後で言われるかもな…)と思ったことや、フッと(こうなるんじゃないか…)と感じたことが、かなりの確率で現実になると思いませんか?それが直感です。
アメリカの医師で生理学者、ベンジャミン・リベット氏の『リベット実験』をご存知でしょうか。あなたが(~しよう)と頭で考える0.35秒前に、体内では電気信号が発信されており、すでに意思決定済みであるということがわかっています。たとえば右手を挙げようと思う0.35秒前に、すでに身体は電気信号を送っているということです。身体はどうやら、私たちの意識以外の感覚を持っているようです。
「筋反射」によって「YES」もしくは「NO」を調べるボディワークがあります。先ほどお伝えしたように、身体は感覚を記憶したり、言語によってプログラムされていることから、対話が可能なのです。現代人は思考が忙しく、体感覚が乏しくなっているため実感できる人は少ないかもしれませんが、微細なキネシオロジーのサインを感じ取ることができるようになれば、貴重な『身体性』を体得できます。
4.「外と内」をつなぐ身体
今から約3000年前の仏陀の時代から、人類は外界を五感(視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚)でとらえていることがわかっていました。ただ、もう一つ『意(意識)』が加わり『六根』とされていました。これが現代でいうところの第六感の感覚かもしれません。「意」は、西洋では五感に無い「直感」のようなものを指すのに対し、仏教では五感と連携して物事を認識する、より根源的な感覚器官として扱われているようです。
昨今、「潜在意識」という言葉は聞き慣れている人も多いと思いますが、仏教が意味する「意」は無意識や集合無意識も含まれていたのかもしれません。身体は無意識であるということに気づいていますか?たとえばあなたは、この記事を読み始めてから何回呼吸をしましたか?あるいは何回まばたきをしたでしょう?ーわかりませんよね、ですが必要なだけ行なっています。私たちは、さっき食べたものを消化するのも、心拍数を整えるのも、命に直結する大事な呼吸でさえ、無意識的に行なっています。
近年『身体性認知科学』という言葉が生まれていますが、筆者自身も認知科学と身体の仕組みを15年以上実地で研究し、その域に入っていると思います。身体は無意識でありながら、意識することもできます。そして微細な体感覚を磨いていくことにより、身体が持つ『憶』という感覚を認識できるようになると、通常は感じない「気配」や「予知」の探知を可能にします。さらに「今ここ」の五感をつかむことによって、ひらめきや気づきを促進し、覚醒の道に至ることを可能にするのが身体です。
医療に携わる私たちが科学や宗教など総合的な学習をすれば、身体が単なる肉体ではないことがわかり、患者さんへの関わり方が違って来るのではと思います。
5. 看護における「傍観」の重要性
通常、私たちは見て、聞いて、触れて、肉体としての体を観察します。聴診器や血圧計やモニターを使用します。ですが真にその人の”状態”を探知するならば、道具は必要なく『傍観』することが良いと思われます。傍観は身体としての感覚を磨き続ければ、おそらく誰にでも可能です。読んで字のごとく、傍ら(かたわら)に立って観ますが、”観る”は”見る”とは違います。仏教には「観照者」という言葉がありますが、認知科学ではメタ認知といいい、第三者の視点を意味します。
客観・達観という言葉がイメージするように、眺める、俯瞰するという感じです。そうして思考を止めて、ただボーっと眺めるだけで昨日との違いを感じたり、調子の悪い部分をなんとなく感じるなど、私たちは”違和感”を探知します。病院よりも介護や看取りで活かされるスキルかもしれません。マニュアルではない”身体との対話”。知識的な資格には無い「感じ取る力」「気づく感性」をどう育てるか。熟練した看護師だからこそ習得可能ではないでしょうか。
6. 看護師が出会う「魂としての身体」
あなたは患者や利用者との関わりの中で、「ただの肉体ではない身体」に触れた体験がありますか?何人もの人が大きな声で、体を刺激しながら名前を呼んでも反応しなかった傾眠状態の人が、スッと手を握ってそっと声をかけただけで反応したー。まさに今、人生の幕を下ろそうとしている人を傍観していると、身体がキラキラと輝いているように見えたー。言葉にはしないし、意識には上がっていないかもしれませんが、人は自分が死ぬことをわかっていると言う人が少なくありません。
看取り期に私たちに出来ることはさほどありませんが、人生の最期に立ち会うことができる職業は限られていて、きっと看護師にかできないことがあると思うのです。早い呼吸をしている人のそばで身体に触れながら、自分自身が落ち着いた状態でゆっくりとした呼吸をしていれば、もし関係性が良ければリーディングできるかもしれません。また、人生を終えようとしている人に寄り添う者として、「孤独」や「沈黙」の価値を認識していることも大切ではないかと思います。まさに介護や看取りは『傍観』が求められる時期ではないでしょうか。
7. 看護師自身の「身体」との向き合い方
ご自身の身体をどのように扱っているでしょうか?セルフケアの必要性が広がる中、もっとも疎かにしているのは医師や看護師かもしれません。看護師の中には、職場には絶対に持ち込まないが、個人的にスピリチュアルを学んでいる人がいます。身体は一人に一つ、一生に一つだけ与えられた幸せになるための道具です。あなたがオギャっと生まれた数十年前からひと時も休むことなく、あなたを守り続けてくれている存在なのです。だからこそ自分でメンテナンスしなければならない…ということに、一般の人たちの方が早く気付き始めています。
病気を抱えている人にとって、肉体は重い荷物のように感じるかもしれません。ですが私たちは体を機能としてではなく『精神』として向き合うことによって、身体があるからこそ覚醒の道に進むことができます。たとえば瞑想は身体が整っていなければ5分と持続することができません。精神が整っていなければ慌ただしい日常の中で継続することもできません。身体を深く見つめることによって、通常は得られない認識を得ることができるのです。
たとえば考え事をしているときや感情に囚われているとき、私たちは明らかに呼吸を忘れています。サーチレーションモニターで数値に現れるほどではないけれど、体内の酸素濃度は低下しているでしょう。その積み重ねによって体調不良が現れるのは当然のように思います。また、前述のように『身体が記憶する』というのであれば、瞑想によるマインドフルネスやボディワークで身体感覚をより良い状態に変化させることが身体性の回復につながります。心と身体は同一なのです。
8. 身体とAIのこれから
AI技術が躍進を遂げている今、人類の意識下での行為や労働はAIによって実現可能になっています。今後はDXやIOTが広がり、その先では、人類の無意識下(潜在意識)での作用をAIが取って代わることが、ビジネスの中心になっていくだろうと思います。そのために必要なのは『身体データ』です。現在のAIには過去データしかなく、どんなに優秀な機器ができたとしても過去の集計でしかありません。ですが人間は、パッとひらめいたり、ハッと気がついたり、何となくこっちという感覚や直感、そしてさまざまな感情を持ち合わせています。これからのAIはそうした人類の身体データを膨大に集め、新たなプログラムを生成していくものと思われます。
心の状態は、心拍数、血圧、脈圧、発汗、体温などに現れます。身体の状態=心の状態であり、私たちはその状態に応じて瞬間・瞬間で思考し、判断し、行動しています。静岡県にトヨタがウーブンシティを建設しましたが、そこでは生活のすべてが24時間管理されており、人類の身体データを限りなく集積するのでしょう。したがって、これから様々な健康目的のウェアラブル製品やアプリを通して人類の感覚知を得、「心の状態」や「直感」「クリエイティブ能力」などをAIが巻き取っていくものと思われます。
まとめ
医療が科学であると同時に“人間の営み”であることに気づきましょう。ただ身体症状を緩和するという目前の視点ではなく、その人と家族にとっての幸せにつながる医療であるかどうか見極めていく必要があると感じています。また、これから看取りが増える時代において「身体=魂」をどうとらえるか?多くの死に立ち会ってきたからこそ意見し得る立場にあると思います。「生命誕生」の対極である「死」を考察してみることで、「人生そのもの」が変化し得ることを私たちが伝えていくことができれば、社会全体の考え方が穏やかになっていくかもしれません。
人類が新たな時代に進化するために、医療者が見直すべきことがありそうです。
「あなたが今、目の前にしている身体は、“ただの肉体”ですか?」

  
     
     